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寒くなってきたので風邪をひいた、今年も風邪。
喉が痛いのでのど飴をなめつつ、暖かい物をたべつつ風邪薬を飲みつつ。

こたつをだしていらい、優雅なこたつ満喫ライフを送っていたのが原因なのはわかっている。こたつでねたり、こたつでねたり、こたつでねたり。

来年も同じように風邪をひくのもわかっているのがつらいところではあるけれど。
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気が付くと十日ほど更新していなかった。
それなりに友達の家に泊まりに行ったり、仕事が忙しかったり、本を読みふけっていたりはしていたけれども。
つらつらと書くならそれだけで書くことはできるしそれなりに更新も出来るんだけど。第一に書くにあたって言葉が見あたらないので。いまのぼくの中ではしっかりとした言葉で書きたい衝動があるので、それが生まれるまでは現状保持がつづいてしまう。
料理にたとえるなら重厚な味付けだったり、素材が基にある味、そういうもの。
凡庸と雑多な日常でもなく刹那の感傷でもなく、黙考されたものを書きたいと無性に思う。更新されないブログの価値がはたしてどれほどかと自省したりもするけれど。
もうちょっとましなブログを目指したいと思いながら、なかなかそういう風に書けないのはぼくの責任として感じてはいますがね。
何かを書くつもりでいたけども忘れてしまった。
個人的な話は昼ぐらいからそういうモードにはいっていないとなかなか書き出せないから。昼間に物思うときの気持ちを夜まで持ってくるのもなかなか大変である。

たまたま本屋でファッションニュースの増刊のファッションニュースメンズがでていたので買う。この雑誌は春夏とか秋冬のパリ・ミラノコレクションをシーズンごとにまとめたもの。今だと来年の春夏なので09S/Sとなる。実際にお店で売ってる洋服は秋冬だけども、本では春夏。
もうすこしすると09/10秋冬のショーがはじまるけれど。
さらにはそういうショーの情報はとっくにネットの正規のとこなりそういう系のところを検索すれば動画なりも載っているので、あまり買う必要はない。そもそもファッション雑誌なんてフーンと流して終るぐらいでちょうど良いので実際にこれをみてこれだなんてことはぼくはないんだけど、ただつぎの傾向のような物はうかがい知ることは出来る。

今流行っているのはショール、なるべく立体的に巻くのが今風。
寒くなったのでジレを着る人は減った。
ハーフパンツも流行っているけど寒いのこれからはなし。
今期あたりから増えてきたのがニット系の衣類。セーター的なものではなくて、ニットでつくられたブルゾンなりジャケットなり、そういうもの。見た感じも素敵だけれども、ぼくは今年普通のニットを二つ買ってしまったのでいまさら買えないけど。
ダウン系の品物は各種ベーシックな物ができあがったので、薄いものとかパターンの複雑な物がふえた、バリエーションの展開にはいっている。
来年あたりから流行るのはデニム生地。もうこれは確定的に流行ると思う。いろんな有名どころがデニムでセットアップのスーツなどをつくっているし、速いところ(トップ人気なところ)はデニムシャツなんかもいま出てるから、デニム生地のいろんな洋服がゆっくりと浸透しつつこれから広がっていく。

春夏からのショールの流行のおかげでマフラーもいろいろなものがでて嬉しいんだけども、今年こそは買わないつもりなのでそこのところは嬉しくない。そろそろコートをだしたいけれど、まだ着てる人っていないからもう少し我慢しよう。我慢することは抑圧的でいまのブログにはちょうど良い。
話をぼくの得意な方向でかくとどうも重い部類に話題がいってしまうんだけれど、今日はたまたまこのブログのメンテがはいるので時間がないので、また次回に。
引き続きパラパラと村上春樹を読み直している。
「ノルウェイの森」だったり「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だったり。
永沢さんの自分に同情するなというのが印象的だったり、社会の中ではたらくぼくも、社会なり会社なりその中では自分に同情するのは余計な事だろう。
でもそんなことよりも、物語の終わりに訪れる静謐さがひどく印象的で、自分の居場所なり世界の終わりなり、そういうものを布団に入り眠りに落ちる10分間で考える。薄っぺらいぐらいがぼくにはちょうどいい。僕と私の違いとか、社会と個人とか、猫と犬とか。

がむしゃらに読んでいた二十歳の頃と、今のぼくから見たものは確実にちがうのであろうけど、いま静謐さが身の回りを取り巻いている。この感覚は夢中になって読んでいた頃と変わらない。そしてこれを知るとまた読みたくなってくる。
読書の面白さを思い出した。楽しく終る、もしくは苦く終る物語ではないけれど、揺さぶられるのを思い出すのはひさしぶりの体験だった。
そういうわけで歳をとった。
正確には24:00を回った瞬間に一つ年齢が加算されるものではないけれど。、自分が生まれた時間まで正確には覚えていないので、便宜的にいま年を取ったと言っても誰も困らないので。

記念的になにかをしようかとも思ったけれどなにもしなかった。
とりあえず部屋の片づけをして以来本棚もすっきりしたのでパラパラと本を読み返す。
「国境の南、太陽の西」
軽く読み直してみるといまの僕とシンクロしている部分が(内容的にではなく)ある。もちろん著者の村上春樹は個人側のひとなのでだれであれ、シンクロする部分はあるんだとおもうけれど。
太陽の西になにがあるのか、そこを目指しつつ、失いつつ、変わりつつ何も変わらずに、ぼくはぼくらしく、いつまでもどこまでも国境の南をこえて、たどりつけない太陽の西へと繋がりをもってあるいていく。

あんまりそういう話でもないけれど、今の気分でまとめるとそういう風にもなる気がする。この本は村上春樹の中でも暗いとかより個人的だとか言われる始末で、個人が勝手にシンクロしたり盲信するのには便利だけども、そういうものでもまぁいいかなと思う。
どこにもたどりつけなくても。
よくはないけど、自分を慰めるときも、慰めても意味がなくても、慰める必要がなくても、自分をこえてその先を見て、貴方のところまで届かなくても。
それもまた続いていくのだと思えば、良くはないけど、悪くもない。

誕生日おめでとう、ありがとう。
夜だ。
たまにブログを書くには夜の方が書きやすい。

なんとなく、なんとくなしに、徒然なのであまり生きている実感もなくこうしているとなんとなくなにも考えなくなったり、なんとなく死生観を思い起こしたりするけれども。
皮ジャケを買った。皮ジャケなので革ジャンではない。
映画「僕らのミライに逆回転」を観た。
死生観というよりは、毎日をのりきるための核が個人として薄っぺらいのではないかと思う、もっと単純にふらりと誰も知らないどこか遠くへ行ってしまいたいような、シンプルに今日の延長が明日ならすべてから降りてしまうのもいいと思い、思うだけなら誰にでもある。
革製品は基本的に好きではない、見たままの皮という質感が好きではない。それでも皮ジャケを買うからには皮なのにスウェード地のような風合いを持ったものだったので。44サイズが二着あり、一着は僕の体にぴったりとフィットするもの。もう一着は44サイズの割にはでかく一回り大きな46サイズではないかと思われるようなもの。でも大きな方を買った。表情が良かったから。
最近見た映画三つで比べると、
娯楽                      芸術 
ドラゴンキングダム/僕らのミライに逆回転/アキレスと亀
ちょうど真ん中。
小気味よく見ることのできるもの、やがてツタヤとかで単館映画コーナーとかに並べられそうなそういう風合いのもの。面白い映画である、最後のエンドロールまで誰もが座っている仕組みになっているところも面白い。
結局こうしてブログを書いているところを見ると、明日に挑むでもなく、今日の延長として深夜を過ごすのは何とも言えず後味がわるい。人と人との繋がりはぼくが思っているほどに難しく簡単で、みくろに向かうほどぼくは不甲斐なさにおぼれてくる。自分の範疇を広げないとやりづらくてしかたがない。
革の良さは軽くて暖かいところ。革は生きているので水に濡らすのはよくない。あと着ないで放っておくとカビが生えるので半年に一度は袖を通さないといけない。皮ジャケなんてものは使い捨てではないのできちんとしていきたい。ジャケットもそう。ジャケットや革製品=大人というイメージがあるようでそういうのに手を出すあたり歳をとったと納得する。日々成長しているのかはわからないけれど。
映画の結末には触れないとして、久方ぶりに楽しんで映画を観れた。すべてがハッピーエンドじゃないけれど、そういう方が映画らしい。


だから、まぁ。
そういうことがそういう感じであった。


んじゃ、そろそろまた書こうかなと思います。
明日か明後日あたりからだけども。
かなしいことがありました。

ふぅ……。

とりあえずそのうちまた……。
しばらくしてから自分の中で整理できた、といよりも正確には各種のいろんな感想ブログをみてまわって思い直したことなどをつらつらと。
そもそもそんな風にかいている時点でぼくの中のファーストインプレッションではないけどもね。

アキレスと亀は普通に展開する映画である。
ただ、「TAKESHI’S」と「監督・ばんざい」との北野武三部作であることを念頭においてないスルーしてしまうような見方をしてしまうかもしれない。起承転結でハッピーエンドを期待する映画ばかりみていると流してしまうような、簡単にいえばハリウッド的大作よりは日常的映画のような、淡々とした話。わかりやすくストーリーの解説や謎解きをしてくれる登場人物もいないので、自分で感知しないとただのシーンというものしか残らない。

絵を描くことしか出来ない少年が、一枚も売れない青年画家になり、恋というより、一心に支えてくれる相手に支えられて、自分を見つけられないまま絵を描く中年になり、映画の最後が訪れる。

アキレスと亀はギリシャ? かなにかの哲学者のパラドックスで、アキレスは亀に永遠においつけないというもの。整数ではなく0.00001みたいに刻んでいくと永遠にアキレスは亀においつけない。

映画の最後でアキレスが亀においつけたというわけなんだけど、それが何かは観た人のお楽しみということで。

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